スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |

[漫画]四月は君の嘘 完読

年始めから引っ切り無しの仕事で、忙しく死にそうになりながら過ごしております。もう何回か死んだけど。
2泊3日(とはいえ家には帰るんだけど)で満喫で一晩に7〜8千円使いながらプログラムを書き続ける修羅場とか、燃え尽きます。
もうちょっとお金を出せば、ホテルでカンヅメに成ったほうが安く上がるんじゃないかという葛藤と戦っています。爆

そんな中、遅まきながら「四月は君の嘘」をコミックス完読、アニメも全話を視聴という現実逃避をしました(先月)。

作者がコミックスの巻末で書いてあるとおり「チンプ(陳腐)」と編集者さんにダメ出しをされまくったというストーリー設定、そして先が読める展開。初めは「あぁ、よくある設定ね、これは3話までで飽きるかな」と思ってました。
だけど、回が進むに連れて、それぞれのキャラの抱えている色々なモノが段々重くなっていくストーリーは「陳腐でもいいじゃない」と王道を突き進んでいきました。先が読めるから、読めるからこそキャラの成長を見守ってあげたいという視聴者としての放っておけない感じは、久々です。

僕は、それこそ主人公の彼と同い年ぐらいの時に母親を亡くしているので、劇中で彼の母親が苦しみながら葛藤しながら子供に辛く当たってしまう場面などは・・やっぱり切ないですし、大人になった今だから分かる悩みのようなものが重くのしかかって来ます。「これは果たしてアニメなのか?」という運命の重さは、やはり日本のコミックスのレベルは高いなぁと実感させられます。僕だったらとっくにギブアップですわ、あの状況は子供にはつらすぎる。涙

そして、ヒロインと主人公と大切な友達たちと、中学生の頃ってこんなに深く考えてなかったよなー(もちろん大人が作ったアニメなので、そんな設定はアレなんだけど)と、それでも好きなことに集中をして、好きな子に思いを馳せるという部分は、今は持っていないあの頃の淡い感情を思い出させます。劇中の彼らは、もはやセミプロの域なわけで、そりゃぁ抱えてるモノが違うけれども。それでいても、心は子供なのだから・・色々と見えない葛藤はあるんだろうなぁ。中学生ってあんなにシッカリしてたっけとか思いながらも、ストーリーにヤラれていきます。

オープニングの「光るなら」という曲の歌詞が、作品を最後まで見終わると「その意味」に気づくわけで。最初に聞いていた時の歌詞の重さと、最後まで見た時に改めて聴くとでは全く変わるという。こういうのは上手に作ってあるなぁーと。2期になって曲が変わるのですが、うーん、やっぱり最初のOP曲が好きかな。

まだ見ていない人、少女漫画好きな人は是非見てください。ハチクロに近いかなって思ったけど、あれも大人のどろどろした葛藤みたい部分の描き方が好きでファンになっているけど、日本の漫画は本当に容赦なく傷をエグる感じがいいですよねぇ(褒めてる)。
お陰でココ最近は仕事しながらのBGMはすっかりクラシックになってしまいました。笑  アニメの力ってすごいなぁ。
| 日記 | 16:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

デザイナー不足

最近、行くところ、行くところで「デザイナー不足」という言葉を聞く。
正確には「使えるデザイナーが居ない」「まともなのが居ない」という話だ。

方向性はいくつかあるんだけれど、
1つは「Webがインタラクティブなる中でそういう動きをWebに組み込めるデザイナーがいない」という話。
もう1つは「iPhone,iPad などが普及する中で、ちゃんとそれらをデザインできる人がいない」という話。

仕事柄「並以上」のデザイナーは何人かは知っているし、商売として大手を含めデキる人は知っている。
けれど彼らでさえ「管理画面のデザインを」とか「iPhoneの画面のデザインを」と頼むとまともなものが上がってきた試しがない。
僕はデザイナー畑の成り立ちはよく分からないけど、ちゃんと紙から経験を積んで上がってきている人は、ほとんど今のインタラクティブなWebには適用できていない気がする。静的コーポレートサイトを作ってやっと食ってるイメージ。

専門学校などを出て、Webに特化したデザイナー(紙から来た人に言わせりゃ「ナンチャッテデザイナー」だけど)は、Webの組み込みはそこそこ綺麗に仕上げてくれる。けど「無難だよね」っていうラインのものが出てくる程度。

おそらく、何となくだけど「工業デザイナー」とかの分野から出てきて、人間工学をかじりながらデザイナーをやっている人がWebに入ってきたらいい物を作ってくれる気がする。そりゃぁ「コンセプト」という領域でのイメージデザインだけであって、その先のJPG作ったりHTML作ったりする作業は下々の者がやるんだけど、それでもお客さんが「使いやすい」といえるものが上がってくる気がする。

時代は常に変化しているし、求められるもののレベルが上がっている中で、ただ「デザインをやってきた」という1軸だけでWebに入ってきてしまうと、やはりアウトプットとしての出来が並程度になってしまう気がする。その上で「UX/UI」や「人間工学をやってきた」と言われれば、プラスαの軸が増えることで、製品にもそれが反映されてくる気がする。

本当に居ない。可愛い・カッコイイは当たり前で、その先にある「なぜこのデザインなのか」を追求して、突き抜けたすごいデザイナーは未だ出てこない。

僕はプログラマだし、どちらかというと仮説を元にコンセプトを作り上げていく商売なのでデザイナーさんには極力口は出さないし、それをユーザがどう使うか?をデザイナーに伝えることは無い。けれど・・実際リリースすると使ってくれない。それはアプリの性能どうのこうのじゃなくて、「操作がよく分からない」という部分が多分にあると思っている。初期のFaceBookが非常に使いづらかったように。

UX/UIデザイナーがWeb業界で育っていくのはまだまだこれからだと思うけれど、そういう教育を学校でしない限りは全然次の世代は生まれないし。もう野に放たれているデザイナーは自分で意識しなければ、そういう新しい技術は身につかない。

ニーズはあるのに、そういうところに手が届かないのがもどかしいと・・Web業界/スマホ業界のアプリ関係者は日夜悩んでいるのである。。

JUGEMテーマ:ビジネス
| PC・ネット | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

ロボットが人間を超える日。2045年。

2045年、ロボットはAI化され、その知能は人を超えると言われる分岐点らしい(新聞より)。


その後、ロボットは人を「どのように扱い」「どのように接する」のかを酒の席で議論した。


1. SF映画よろしく、ロボットは人を抹殺していくのではないか?(ターミネーター式)

2. 共存共栄を量るのではないか(イヴの時間、アップルシード式)

3. 収容所のようなところへまとめられるのではないか?(ちょっと新説?)


 ロボットが「地球を守り、生態系を維持する」という命題を持つなら、明らかに人間は増えすぎた害悪であり、全滅はさせないまでも選別はされるであろうという線が今のところ濃厚。

 その場合も、抹殺ではなく「緩やかな死」という選択を選び、子孫を増やさせないというような、繁殖行為の禁止や選ばれた人類のみが「生かされる」という管理社会になるのではないかという考え。また、ノアの箱舟よろしく、他の種と同様に「最低限維持されるべき数」だけが守られるのではないか?という考え。


 ならば「ロボットではできないことを行える人間、かつ、その行為に対して価値があるとロボットが判断すれば」その人間は生かされるのではないか?という考えに至った。あくまでも「生かされる」のであって、主従関係は逆転している。

 その論で考えるに、伝統芸能や伝統文化、職人技などは「歴史の産物」として生かす価値があると判断し、技術を持っている人間は保護を受け、その伝統を継承していくという「労働をさせられる」のではないかと考える。

 さらに、ある程度器用な人間は、そういった収容所施設の中で、伝統を受け継ぐ訓練や義務が課せられ、その代わりに生かされるということになるのではないかという話になる。(余談だが、結城紬の伝統を守るために、職人候補を公務員として採用し、育てていくという取り組みがなされているとニュースでやっていたらしい。これは前述の考えの方向性の1つとも考えられなくもない。)


 その他の、パチンコをしているような底辺の無能な「(現在)ただの労働者」としての人間は、その生業のほとんどはロボットに取って代わられていると考えられ、あとはマトリクスよろしく「エネルギーとしての価値)程度しかないと考えられる。何も生み出さない、地球を壊すだけの人間はロボットから見たら害虫以外の何物でもないと思う。


 僕の最近の考えの1つに「アナログは嗜好品として価値を持つ未来が来る」という持論がある。すべてがデジタルに、エコに、バーチャルに収束していく中で、アナログであり五感に訴えるような要素・・音楽、手紙、料理、酒、女・・そういった「触れられるモノ」は贅沢なものであり、お金を費やして「あえて身近に置く」ものになると思う。
 例えて言うなら、オートマ車がこれだけ普及しているのにマニュアル車に乗るのが粋であるような。CDではなくレコードを、トランジスターではなく真空管を、パソコンではなく手帳を愛するような、そういった感覚に近いのかもしれない。その時に多くの人間は、ほとんどの情報をネットと能を直結して接続し、五感もデジタルから直接摂取していると考えられる。きっとみんなゲロみたいな飯を毎日食べて生きてるのではないかと。まぁウィダーインゼリーとか吉野家とか、もうそんなのはある意味最先端だと思うけれど。飯すら食わないかも知れない。
 

 論点は、"日本に戦争で勝ち、GHQという名で統治した時代のアメリカが一定の理解を示した「日本の文化」のようなもの"に対して、ロボットが価値を示すか?という部分に集約されていった。(これが「宇宙人侵略説」の場合は、若干設定が異なり「全部薙ぎ払え」というパターンもあるが、その議論はまた別の機会に)
 ロボットの場合は最初のSEEDを人間が開発しているはずで、その部分の「歴史に敬意を払う」といったプログラムが存在していてもおかしくはないか?と、現在は考えている。もっともロボット自身がそのプログラムを上書きしてしまえば、その先は分からないが。

 とはいえ、中国共産党のような徹底した管理社会を追求したようなプログラムが台頭してきた場合、人類の歴史や伝統には何の価値も見出さず、全てを排除するという選択を行う可能性も否定はできない。


 あと30年。ロボットがどのように進化し、人との共存を模索するのか、否、人はロボットと共存できるのかを真剣に議論していくフェーズは早晩やってくると考えられる。"ターミネーター"のような未来が待っているのか、"イヴの時間"のような社会になるのか。その時、人類はどうなっているのか。


 このテーマは、時代の変化とともに変わってくるはずなので、今後も時折議題として考えたいと思っている。

| 日記 | 02:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

文字を書き残すということ

僕は母親を中学2年で失っている。正確には僕が小学校1年で病気を発し、入退院を繰り返してきた。
そういう意味で「母親というもの」をよく知らない。愛情はたくさん受けてきたが、そうではなく、人となりという意味で。

きっと狭い実家の何処かを探せば、母の人となり、女としてのなりの記録が出てくるのかもしれないが、不精というか不器用というか、自分の感情や生き様を誰かに伝えようとする人ではなかったように思うのであまり期待はできない。
 いくらかの彼女の趣味と、怠惰な生活と、多少の料理と・・そのぐらいしか「母親の人としての記憶」は残っていない気がする。

晩年、「いよいよもう最後の退院で、あと半年ぐらいして病院に戻ったら、多分もう出てこれないだろう」という頃があった。あの頃に母がおもむろに電話帳の整理を始めた。我が家は、大学ノートに適当に"あ〜ん"までのラベルが貼ってあるところに名前が書いてあるような手作りの電話帳を使っていた。それも、僕の記憶がある頃にはボロボロで、それでも新しい友人が出来ればそこに書き足して行く・・というのが当たり前だった。電話なんてこんなに普及してなかった時代の話である。
 それを、母がおもむろに「整理しなくては」と、リング式のカードフォルダーを買ってきて、1人1枚に書き起こし、丁寧に連絡先を記述していく。それまでも母の料理手帖や、読んだ本の記録などのノートはどこかで見た記憶があるが、おそらく最後の母の我が家での仕事だったのではないかと、今になると思う。母の手書きの文字という意味でも最後の物だと思う。
 今考えれば、あれは「私が死んだ後に、旦那や子供が誰に連絡をしたらいいか困るから、整理しておこう」という気遣いだったのかもしれない。そういう人ではあった。何しろ自分が病気だと知ってから、旦那に料理を教え込み、子供に家事手伝いを教え込み、そしてあの世に旅だった人だから、用意周到であり策士なのは知っている。

そういう育ちをしているからか、「自分が生きてきた記録を残すことの大切さ」を僕自身はあまりよく分かっていない。のんべんだらりとお金が入ったら酒を飲み、仕事が来たら適当に処理をして、記録をちゃんと残すという作業を系統建ててやった試しがない。日記は三日坊主が関の山だった。
 しかし、ここ数年。本当に突然に「旅の記録」やら「仕事のアイデア帳」やら・・しまいには日記帳に準ずる記録までも付けるようになった。本当に突然である。理由の1つには最近記憶があやふやで、やはり35も超えて年をとったなと実感することも増えてきたということもあるが、どちらかと言うと「今生きているという記録をちゃんと残すべきだ」という考えのほうが大きい気がする。
 毎日を多忙に過ごし、無駄に過ごし、何者にもなれない人生を送っている中で、ともすれば先週何をやっていたか?さえも朧気な日もある。本当に忙しい時はそうなってしまう。仕事のこと以外は頭から追い出さないと、ニーズに答えられないから。背負っている荷物をすべて下ろし、無駄な記憶はすべて頭から追い出す。1つのものにしか昔から集中できない単細胞だから。
 それでも、どこかで、例えば1ヶ月経ったからと振り返りをやらないと、その時に触れた出来事や仕事や音楽や景色や、そういうのも一緒に忘却の彼方に過ぎ去ってしまうことが何となく寂しくなる年になったのかもしれない。1ヶ月前より、1年前より、確実に自分の感情が劣化していっている実感があるからかもしれない。このブログですら、数年前の自分の文章を読んで「あぁそんなことを考えていたな。忘れてはいないけど、忙しすぎて忘れたふりをしていたな」ということが多々ある。

このブログはしっかりとバックアップしているし、大学生の頃から時間を見つけては書いていたという意味で今更自分史でもないでしょう?という声も聞こえてきそうだが、どうもそうではないらしい。
 「紙にペンで書く」これが大事だということが最近になって分かってきた。汚い字で書いてあったり、丸文字でゆっくりと書いてあったり、コーヒーがこぼしてあったり・・そういった「その時の色々な感情」が一緒にノートに詰まっている感じが「紙とペン」の記録には付随情報としてあるのではないだろうか。昔は手紙を書くのが大好きだったし、今でこそ相手が居ないけれど言葉を人に送るのは嫌いではない。
 もちろんブログだってその時の感情で語尾が変わったり、言葉選びが変わったり、プロではない分そのあたりのゆらぎが感情で変化しているのも面白いのだが、それよりも紙とペンで書くほうが情報量が多い気がする。

1ヶ月経って、1年経って、10年経って、自分の足跡を見返した時に、やっぱり紙なんではないだろうか?と思うようになったのである。やっぱ歳なのかな。
 もう一つ、やはり「突然死んだ時」のことを考えるようになった。病気はしない方だし、家からはほとんど出ないし、他所のサラリーマンよりはストレスも無いだろうし、突然死というのは少ないかもしれないが。先日の御嶽山の噴火の件でもそうだが「ある日突然」ということは誰にでも起こりうるのだと、折に触れ感じることはある。別に死ぬのは怖くないのだが、それよりも自分が生きていた証をどこかに残したいというささやかな願望があることは認めたい。
 業務的に、仮想世界のものを作る仕事ということもあって、自分が何をやっているかを他人に伝える機会がすくない。ましてや守秘義務ががっちりの大手と組んでやっているような案件は、世の中に出るまで完全に秘密の場合が多い。なんでこんな職業選んじゃったのかね。笑  だからなのか、せめて私生活ぐらいは、何を感じたのか、何に触れたのか、ちゃんと記しておきたいと感じることが多くなった。
 元々が、感情で動いている人間なので、理系を装ってはいるが、何かに感動したり怒ったり落ち込んだり、そういう時に物事が動く場合が多いのかもしれない。あまり理知的に動くことはしないから。

話を戻すと、「自分の手で書いた文字を残すこと」が結構記録として効いてくると思っている。そして楽しい。「みんなもやってみたら?」と誰にでも勧められるわけではないけど、そもそも最近日記を書いているという人もあまりあわないし。でもラジオやテレビやネットや、これだけ情報が多く入ってくる時代に、自分のアンテナに引っかかった言葉や文章や詩や景色や、そういうものをちゃんと形として手元に残そうという努力は、もっとやってもいいと思うんだよね。好きな人にそういう気持ちを伝えたり。ここでいう好きな人は恋とか愛ではなくて、同志という方が近いかもしれないけど。Twitter とか FaceBook ってこういう感情を文字として紡いでいくという作業の延長で流行ったんじゃないかって考えているんだけど、違うかな。

例えば、僕は食に関してはかなり好きだから、「今日食べたもの」をちゃんと記すとか。記せる日だけでも良いから記すとか。いい音楽に出会ったら書き取るとか。そういうの・・みんなとは言わないけど、これを読んでくれるような貴方には勧めたいなって思うのです。
 何となく漫然と毎日を過ごしている中で、毎日何があったか、毎週何があったか、その時に何を思った、何を食べたのか、嫌なことはあったか、楽しいことはあったか、そういうのをちゃんと残してみませんか。

ちょっとマザコンと言われるかもしれないけど、僕は母が若い頃に行った場所やお店や山や宿や、そういう足跡をいつかたどってみたいと思っている。まだ父は健在だし、嫌がるかもしれないけど聞いたら教えてくれるかもしれない。

私の中の父の血と 私の中の母の血とどちらか選ばせるように 柵は伸びてゆく たとえ どんな名前で呼ばれるときも花は香り続けるだろうたとえ どんな名前の人の庭でも花は香り続けるだろう」

こんな歌詞が頭のなかに浮かんだけれど。好むと好まざると、僕の中には半分の母の血と、半分の父の血が流れているわけで。齢35になって、今更ながら本当に「やっぱ親子なんだなー」と実感する場面がちょいちょい出てきて。血というよりも育ちというか、そういう部分で親子って似るんだよね。ならばいっそ、親が辿った道をトレースしてみるのもありなんじゃないかと。

きっとみなさんも、年をとったらそういう感情が芽生えてくるんだと思いますが、僕としては自分に子供が出来るかは分からないけれど、少なくとも自分がこの世から消えた後に、そういった記録みたいなものが誰かの目に止まったら楽しんでもらえるような、楽しんではもらえないかもしれないけど、何か引っかかるような毎日を記していきたいと最近思うのです。
 
| 日記 | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

人生初の仕事合宿。

今週、木・金と平日の2日を使って、人生初の勉強合宿に参加してきました。
とはいえ、プロジェクトの「引き継ぎ」を目的とした合宿であり、コミュニケートをするという意味の場。

場所は葉山・逗子の普通の家の1F。AirBnBというサービスを知り合いに教わって、初めて使ってみた。
 これも「1つの合宿の目的」。SNSを使って家を他人に貸すという、今までにありそうで無かった信頼に基づいたネットのサービス。
 ソーシャル屋を長くやってきたつもりだけど、どちらかと言うと広告を主とした企画提案が多かった中で、「人の信頼」という本来考慮されるべきものを100%使ったサービス。その発想は無かった・・というか、そこまでネットを信頼していなかった。
 サービスを知って、感動して、他人に教えてくなる・・これが本来作られるべきサービスなんだろうって思う。すごいサービスを知って泣きたくなるほど感動するって分かる?利用ユーザとしてじゃないよ、僕も、どちらかというと「作る側の人」だから。設計屋として「なんだこれ、すげーーー!!」みたいな涙が出てくる。感極まる。そのサービスを他人に教えてて、声が震えるの、凄すぎて。笑  でも「あって当たり前」であり「あるべきサービス」なんだよね、その自然感が凄い。

お借りした家は、逗子の1軒屋。2階建てで、2階にホストが住んでいる。外人の奥さんが、片言の日本語で「1階は自由に使ってください」と言われ、お風呂もキッチンもリビングも6畳2間のお部屋も使える。そしてホストからの干渉はほとんど無し(上に住んでいるので、こまったら助けてくれる)。何が嬉しいかって、鍋も包丁もお皿もグラスさえも揃っていて、我が家より環境が良い。笑  まぁ不満点を強いて挙げるなら、駐車場への道が細いとか、WiFiが不安定とか(僕らプロが使うに耐えられないのは仕方ないけどw)、ドライヤーが無かった・・程度かな、でも多分また行く。とても良かったです。

目的は合宿なので、壁にホワイトボードを貼り、話をしながらプログラムや議題を詰めていく。全員が1つの方向を向いているプロジェクト、そういう合宿には意味がある。いや・・長い時間をかけて「議論すべきこと」に意味がある。開発をするはずの無いメンバーも一緒にプログラムの開発環境を作っていく、これが大事。何で開発って時間がかかっているのか?を自分のマシンで体験してみる。分からない奴が口先介入してきて、「じゃぁーお前やってみろよ」って思うことが多いプログラミングの中で、リーダーが「僕も環境作ってみたい」と口にして、もちろんすんなり環境なんて作れるわけ無いんだけど、それでも「やってみる」ことに意味がある。たった10行のコマンド通すのに3時間以上かかるんだから(色々パソコンの環境によって素直に動くわけがない)。それを口だけで「ちゃんとやれよ」というだけならロボットにでも喋らせておけば良いわけで。「どこが難しいのか」を一緒に体験したいというリーダーは、やっぱりそれだけの意味があると分かっている。全員に環境構築をやれとは言わないけど、せめて本を買って読むとかさ、ネットで調べるとかさ・・そういう「姿勢」に意味があるんだと気づけない奴は、チームでリーダなんてやるなよとすら最近思う。「作れ」じゃない「分かれ」なの。じゃないと問題が起こっている時にレベル感を共有できないじゃん。「何が原因で問題が起こっているんだ!!」って言うくせに、「お前に説明しても理解できないだろ」って下の人間に舐められるだけだよ。少しはこっちに寄れよって思うプロジェクトは多い。

今回の裏テーマは「ビックデータ」と「グロースハッカー」だったのかな。ビックデータは、社会的にも熱いテーマだし、うちの会社としても取り組むべき直近の課題であり技術なので、だから今のプロジェクトに参加しているのだけれど。やっぱり面白い。ビックデータを「どのように集めるか」というアイデアと、「それをどのように使うべきか」という2つの筋があるのだけれど、まずはやっぱり「どう集めるか」で苦労する。でもそこは入り口であって本質ではない。本当にやりたいのは「集めた後に何をするか」そこが楽しい。
 でも今回の議論は「集めることに意味がある」という2つの筋の真ん中にある状態。データを集めることで、あとは自然発生的に次になすべきことは見えてくるはずである・・と。Googleがやってるのはココだよね。データが資産である、よく分かってらっしゃる。Googleストリートビューとか、あんなの誰がやっても良い訳で、最初にやったGoogleがやっぱすげーんだよ。
 シンプルでありながら、ビックデータの価値を「ちゃんと理解できる」のは、それなりの業界で経験をしてこないと分からないと思う。逆に言うとデータの怖さも、扱いの大変さも口を酸っぱく言われ育っている中で、そういう「本質の議論」がちゃんと出来るメンバーって僕の周りにはあまりいないので、非常に有意義な合宿だった。普段は、その辺のヘボ会議より、うちの彼女と議論している方がよっぽどリアルなサービス設計の話ができるし、面白いと思ってる。我が社の優秀な副社長だし(ノロケ)。

(ある分野において)あたりまえだけど「"自分の考えを上回る"考えを提示してくる相手」を探すのはかなり大変。それだけこっちだって勉強をしているし、体験をしているし、多くの議論は違う道にそれて(意図的にそらして)しまって、本来話し合いたい議題の一定のゴールにまで辿りつけない場合が多い気がする。
 今回の合宿はそういう面において、「僕の知識や経験をはるかに超えている人たち」の合宿だったのが嬉しい。平日の2日を潰して(活かして)、社長が4人も集まって自分たちのプロジェクトの話を泊まりこみでやってるんだよ。そりゃ議論が深まらないわけがない。面白くなければ「時間の無駄」で終わっちゃう。1日5万〜10万ぐらい貰ってる人間の集まりが「合宿をやろう」ってなった時の意識の高さ()は、ダラダラ無駄な会議を何回もやるよりも有意義にしなければいけないし、意味のあるものにしようと全員が努力する。そこの到達してない奴は、その場に要らないもの。

もう1つのテーマ「グロースハッカー」。恥ずかしながら、その言葉が定義する中身をちゃんと理解できていなかった。帰ってきてちゃんと調べてみて、「あぁ・・なるほど。うん、でも、当たり前じゃん」という感覚。だって「(自分の)サービスをスケールアップさせるために頑張るエンジニア」って、僕から見たら当たり前だし、それができないならチームメンバーとして要らないし。でもたしかにそれができないエンジニアの方が圧倒的に多いのも知っている。でも恵まれていると思うのは、僕がやってきた仕事のメンバーは多くが自分のプロジェクトを「どう火を付けて、どう増大させるか」をちゃんと考えられるし、言葉にできる人たちばかりだった。本当に恵まれているんだろうけど、逆にそれは僕にも「同じか、それ以上のもの」を要求されるのでキツイといえばキツイ現場を経験してきた。
 今、週に1回のこのプロジェクトの定例会議があるけど、「先週の自分よりどのぐらい進化したか」をちゃんと見せられないと、おそらく一瞬でプロジェクトを降ろされる。それは虚勢やズルとかではなくて、本当にどのぐらい先週から成長したのか?を感覚的に問われて、こっちはちゃんと答えないといけない。キャッチボールなんてものじゃなくて、真剣での戦いみたいな感じ。だって言葉1つ選び間違えて、「その言葉を何故選んだのか?」で1時間ぐらい議論が膨らむ。揚げ足取りではなくて、その1時間を費やす意味がある議論で、かつ、その一言を拾おうという判断を一瞬でできるリーダの俊敏性がすごい。だから会議が面白い。この感覚は、ちょっと初めてかも。会議って時間の無駄だし、「僕いる意味ある?」って毎回思うような会議が多い中で、今回のプロジェクトは1週間サボると、おそらくもう話しについていけなくなる、そのぐらいスピードが早いし、内容が濃い、そして厳しく、楽しい。雰囲気は非常に和やかで、お菓子とか食べながらやってるけど。笑

そういう中での「グロースハッカー」という話題。サービスを爆発的に成長をさせ、イノベーションを起こせる人。もちろん「目算があって」完璧に自分の描いた図の通りに行く人は少ないだろうけど、でもそこまでサービスを利用するユーザのことを「想ってあげられる」プロジェクトであったりメンバーが求められているという話。ほんと・・僕から言わせると、今さら何言ってるの、なんだけど。うちの会社の創業当初からの「その先に人がいる」という言葉。当時は「人--PC--ネット--PC--人」というモデルで考えていたけど、「作り手--サービス--ネット--端末--人」という絵でも成立する。それが頭に浮かばない人が多いのだろうか。「その先には人がいる」はあたりまえだと思っていたし、だから心理学なんていう分野をかじりながら、「そのユーザに何を届けるか」をずーーっと考えて仕事している。職業はプログラマであったりSEであったとしても、その力が無いなら、仕事をする意味すら無いと考えているわけで。そして「サービスを当てる」のではなく、「良いサービスは当たる」なんだと思う。まぁ多くは予算の関係や、チームの上の方の変な人が邪魔や嫉妬をして、うまくいかないんだけどね。そういう奴は全力で社会的に潰すけど。
 合宿リーダ的には、僕や、うちのメンバーは「グロースハッカー」であったり、もしくはいつかはソレに成れるだろうと思っているようで。その期待には応えられるといいなとみんな頑張っているわけで。でもそれは「一緒にそこを向かって突っ走っていけるプロジェクト」があるからできることであって、チーム内の温度差や向いている方向が違えば一瞬で破綻する。リーダの存在は、「全員の意識を同じ方向に持っていく」という、この1点だけに最大の注力を行っているように見える。その中で自由にアイデアを巡らせ、発言をして、その発言を磨いていく。これが・・ベンチャーから上場企業を作ってきた人の実力なのか・・とただただ勉強をさせられる。何しろ熱量が違う。でも熱量がある中で、勢いで物を語るのではなくて、ちゃんと最後は着地点を的確に考えながら喋っている。頭いい人と議論はしていて楽しい、いや、殆どの場合は太刀打ち出来ないんだけどね。笑 

合宿の中、僕は業界的には結構特殊な育ちをしているので、講師や個人客対応や開発やマネージャーや心理学やヤクザ対応や・・そういう「複雑な事情」から発言できることは多い。幾つも幾つも言葉をぶつけていく中で、チームの中に無かった「気付き」が10回に1回ぐらい出ると、それって「ここに居た意味」があるわけで。
 面白いのは、そこからチームの意識が1つレベルアップする、それをリアルタイムに実感していく、本当に意識が1つあがる・・あの感覚はなんだろう。全員が同じ方向を向くっていう統合力ってこういうことなのかぁって実感する。大体の場合は「すごい天才」が居て、みんなそこに着いていくのが精一杯っていうパターンが多いんだけど、今回のプロジェクトは「天才が普通の言葉で喋ってくれる」という、向こうが1段レベルを下げて、言葉を選んでくれる。本当の天才は「普通の人に分かるように難しいことを教えてくれる人」ってよく言うけど、まさにそれ。議論が噛み合って、チームの方向性や意識が上がっていくのはとても楽しい。

でも一番大切なことは「みんながサービスを作っていて楽しい」という感覚を大事にすることなんだと思う。開発陣はそれが「売れる」という確信を持って作るし、営業は「売れる」と確信を持って売るし。結果はどうなるか分からないけど(一応、昨日リリース終わって、来週からみんなが見えるところに登場するっぽいけど)。一生懸命頑張ったなら、結果はついてくると信じるしかないじゃん。

3カ年計画、予算が続く限りは突っ走るわけで。向こうから「要りません」といわれるまで、今回はとことん付きあおうと思っている。久々にモチベーションが続くのはなんだろうな、↑に書いてきたような色々な「すごい人たち」が集まっているからなんだろうけど、そして「すごいサービス」を作っているという感覚があるからだと思う。だってあと5年したら、ウチが作らなくてもどこかが作ってサービスとして存在しているし、そういう意味では必要なものなんだと思う。そしてそれなりに安定した対価を頂いていることは大きいかな。もし金が無いなら、作る努力をするべきなんだよね。人を動かすんだからさ、金かかるに決まってる。
 最近は、こういう仕事しかしなくなったなぁ。自分の中で「売れないなこれ」って思った瞬間にテンション下がる。お金を頂いている分はちゃんと働くけど、それ以上はもう面倒くさくなる。だって「作っても売れない」って気づいたら、作る意味ないし、誰か他の人がやるよ・・いや、やっても失敗するからやらない方がいいんだけど。笑  もう予算つけちゃったし、なんか作らなきゃいけないっていうパターンが一番駄目よね。そこで修正をしようって思わないなら、そのまま沈んでいけばいいじゃん。俺は逃げるから。
 来月から、プロジェクトは「本筋」に入っていくので、更に開発は忙しくなる。そして無事にいくつかの派生プロジェクトが進んでいるので、人が増えていく。今、10人かな。この後20人ぐらいまでは年内に増えるんだと思う。ウチも人を増やそうかなぁ、ちゃんとお給料出せるようなプロジェクトなので若い子を雇っても良いような気がする。でも「いいな」って思う子が居ないと育てる気が起きないけど。僕が育ててきた子たちは、みんな各分野で僕よりはるかに成長して頑張っているみたいで・・でもそろそろ手元に居ても良いかなって思う。引き継ぎという意味もあるし、最短距離で引き上げるだけの経験と人脈ができてきた中で、あとは僕の体力があるうちにその荷物をを卸したいと思う。合宿楽しかったし、そういうのをもっと楽しんでもいいなって思うし。

他の案件も同時並行でやっているので、こればかりを頑張るわけには行かないので、そろそろ体力的に限界が見えてきているのも分かっていて。秘書的に色々と動いてくれる若いのが欲しいっていうのも正直な所。どれもが中堅・大手だったりするのを、1人で対応しているのが既にオカシイんだけどね。でも1人会社ってそういうもんだと思ってたから。社員増やしてくわせられなくなることが怖くて、やっぱ躊躇しちゃうよね。「給料出せないけどごめん」みたいなの格好悪くてできないし。。

さて・・合宿の余韻を残しつつ、来月の開発に向けた設計をしなくては。新しい仕組みなので、一番頭使うところで、一番楽しい所。全力で知識を放出していく作業が始まる土曜日の午後なのです。。頑張ろうっと。
 
| PC・ネット | 13:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

Profile
New entries
Archives
Categories
Recent comment
Recent trackback
オトフレームテスト
Mobile
qrcode
Links
Others
無料ブログ作成サービス JUGEM

新卒採用2018 | GMOペパボ株式会社 -->